見た映画を記録する

毎月観た映画と映画以外を記録しています。

もう演劇をあんまり観ないかもしれない

 副題:長時間労働が悪すぎる

 

 このまえの週末、スイッチが切れたように二日間ずっと寝ていて、でも寝ながらもやもやと考えていたことを書きます。もともと、もう演劇を観ないというタイトルにしようと思っていたけど、よく考えてみると、まったく観ないということはないかもしれないな、パラドックス定数とか、イキウメとかはきっと次の公演も観たいと思うだろう、と思えてきたので、若干中和された題になりました。副題もつけました。書いているうちに、悪いのは長時間労働だなということに気付いたため。やすみましょう。はい。休みたい。

 ほんとうは先週末、土曜日曜とそれぞれ観にいく予定の舞台があり、しかし前日の金曜日あたりに(とそのときは思ったけど、ほんとはたぶんもうちょっと前から)突然演劇を観たい気持ちのスイッチが切れてしまい、本当に本当に極悪人間なんですがふたつともキャンセルしてしまった…それで、行く予定だった舞台の劇団や出演者のコメントをおふとんで眺めながら、もう演劇を観ることはないかもしれない、と、なんとなく思いました。

 私のこれまでのなかでこのようにスイッチが切れることはよくあり、たとえば昔本当に大好きで毎日聴いていたバンドで今はさっぱり聴かないバンドもあるし、学生時代あんなに何時間でもやっていた各種ソシャゲも今はひとつもやってないし、アニメも観なくなったし、漫画も読まなくなったし、でも、また聴くようになった音楽もあるし、ときどき漫画は読むし、だから、演劇もそうやって、またスイッチがじわっと入ることもあるかもしれないです。でもたぶんぱちんと全開に戻ることはないと思う。あるかもだけど。なにが言いたいかというと、何かがよくなかったとか、そういうことではなく、ただ喫水に達したのだと思うのだけど、それでもこのように突然はっきり切り替わることは結構レアイベントなので、おもしろく、記録のために思い当たる原因を書いておきます。

 

(1)しごとが忙しすぎる

 これがめちゃくちゃある。すべてがこれに帰結するとも言える。とはいえ雑すぎるので、もうちょっと細分化します。

(1-1)元気な可処分時間が少ない

(1-2)観られる期間が短いため、公演期間を逃せないと思ってしまう

(1-3)そのため、おもしろくない話に行き当たったとき、つらすぎる

 まず、しごとが忙しいといっても、土日はやすみなのでは?という向きもあろうけれども、体力がなさすぎるので、五日はたらいたら二日のうちほんとうは一日はぶっ倒れていたい(平日はめちゃ遅くまではたらいているため)気持ちがあります。長時間労働が悪い。はい。しかして演劇、たいてい一日に一回、場合によっては二回しかやっていないうえ、私が好きになってときどき観にいくようになったタイプの演劇は、公演期間がたいへん短く、一週間とか、よくて土日が2回あるとかで、その週末元気であろうがくたくたであろうが、おでかけしないと(当然ながら)観れない。体力なし人間には大変つらいことです。体力をつければいいじゃんという向きもあろうけれども…(その通りです)。

 それなのに、ときどき、(これは演劇だからってことじゃなくて、映画にもドラマにも漫画にも小説にもあることだと思う、思うけど、)ほんとにおもしろくない話がある~~~~……………………めちゃがんばって起きてもろもろ片付けてお出かけしたのに話がおもしろくないと、ほんとにつらいです。でも実際のところ、そんなに演劇を観たわけではないので(演劇というもの観れるかもしれん、と思ったの、配信華やかなりし2020年だったため)そして厳選された面白そうな評判のやつばっかり観にいっていたため、そんなにたくさんおもしろくない話に行き当たったわけじゃないんだけど、それでも、途中で観やめることができない媒体でおもしろくないと、ほんとうにつらい……なまじほどほどの都会に住んでいるため、劇場に行くことは可能だけど、よぼよぼ体力人間としてはちょっとつかれるなというくらいのパワーと少ない可処分時間を支払って、全然合わなかったな、と思った機会がちょっとだけでも、かなりつらい気持ちでした。可処分時間、体力、おうちの都会具合のうち、どれかひとつでももうちょっと強だったら大丈夫だったかもしれんが…相乗効果でよぼよぼしてしまっている…情熱にドライブされているときはそれらもまったく気になりませんが、情熱スイッチが切れてしまったので、よくわからなくなってしまいました。

 

(2)弱っていていまフィクションと向き合えない

 前項とも大いに関係があるため、前項のいち項目としてもよいなあと思いつつ、特に実感していることのため別に項目を立てます。

 いまめちゃめちゃ弱っていて、それは主にしごとのためなのだけど、それにより、あらゆるフィクションを摂取しにくくなっている。図書館ももう何ヶ月も行ってないし、映画館にも二月に一回くらいで、ドラマももうずいぶん観てないし、帰宅して時間が十分あっても、ナミビアの砂漠をみて、Twitterを見て、くたくたになってしまう…フィクションのなかの世界を支えられるほど、あたまの中に余地がないのです。それでも演劇は行けば絶対観るし、ひとつき前とかにチケットを取っているため、その週末いくらくたくたでもたいていの場合観劇までこぎ着けることができ、たいへん楽しんでいたのだけど…でも私が摂取するタイプのフィクションの形態のなかで、直接目の前に人間はいるし、話の筋もこの世で起きることに近くてしんどいことが多いし(そういうものを選んで観ていたからというのもありますけど)、大変刺激が強い部類に入るので、いま、ついにめちゃくちゃ弱り、おかゆしか口に入らん…みたいになったとき、これまでのように毎月なにかを観るというのは難易度がぶちあがるなあ…と思ってしまったのでした。半年に一回とかなら観れるかも。というか、書きながら思いましたが、そのくらいが私にとっての適正ペースなのかもという可能性がありますよね。見つけられてよかったね。やったー!

 

(3)感想をみられている

 全然そんなことないかもしれないけど、演劇、わりとコミュニケーションなのではないでしょうか。もちろん、超然とした主義の作り手や俳優も全然いると思うんですけど、つくりだした舞台が、どのように観客に受容されたのか、すごく気になると思うし、その気持ちはめちゃめちゃわかるんだけど、感想をふぁぼられたりRTされたり、まとめられたりすると、ひええ~~~となっちゃう気持ちがありました。いやなら鍵のないアカウントで感想を書かない方がいいのだけど…でもおもしろかったという気持ちをまだ観てなくて趣味が合うひとびとに伝えたいなあという気持ちがある。それに、そうやって感想をみられている(ときには、作り手だけではなく、劇団や俳優のファンや同じ公演を観たひとに)と思うと、正しい感想を書かなくては、きちんと読みとって、適切かつポジティブなことを、と思ってしまい(ほんとは全然そんなことないと思うけど)、そうすると、公演を観ているうちから、あたまの中で感想をまとめ始めてしまい、それが自分でもほんとにいやだなあと思っていて……近頃はだんだん、この話から正しい感想を読みとることができるのか?適切に発信できるのか?と物語の方からテストされている気持ちになり、これは本当によくないですよね。よくないです。

 これらはもちろん演劇以外でもあると思うんですけど、特に私が好きで観にいっていたタイプの演劇、一公演あたりに携わっている人数が少なく、感想が直に届いてしまうおそろしさがあり、ここで最初のところに戻りますが、ひええ~~~となっていたというわけでした。SNSをやめなさい。はい。でもTwitterとかで教えてもらっていなかったらそもそもパラドックス定数のようなめちゃ最高大好き劇団とも出会わなかったわけなので…それにおなじ物語を見たひとの感想とかは私もめっちゃ見たいし、運良くお話ししたりとかできるとおもしろく、うれしいので、いい面もあるんですけど…

 

 しかして、では近頃何をしているのかというと、あたらしくバンドを好きになり、ライブにいったり、アルバムを聴いたりしています。夜遅くに帰ってきてくたくたでも、1曲4分とかの音楽は聴ける。これはすごいことです。おかゆだ。しかもうまいおかゆ。ライブ会場はたいていの場合劇場より遠くにあるし、公演時間は長いし、飛んだり跳ねたりするから体力もめっちゃ使うけど…と思うと、上述のことはそれぞれささいなきっかけに過ぎず、本質は私のめちゃめちゃな移り気にあるのかもしれません。それはそれとして、長時間労働はめちゃくちゃ悪いです。でも演劇は全体として観てよかった……おもしろい物語がめちゃめちゃあったし……人間を観るということ自体が非常におもしろ経験だった……ほわっとしかわかっていなかった舞台美術とかライトとか衣装とかについてひとつずつそんな意図が!ってわかっていくのもおもしろかった……転職するかなんかして、元気になったらまたたくさん演劇を観たいな~と思うようになるのかもしれない。わかりませんが。